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第5回『祥子のソングライター講座・~大船番外地。~』

2013年12月23日更新

『TRIBUTE TO和泉式部』2009年『無言歌』サウンド・トラックに入っています。同じ年の3月、横浜美術館のライブ終演後にその場で録りました。

(動画の公開は終了いたしました。)

今回演奏しているのはクラヴィコードで、調律は「六分の一」の古典調律です。

クラヴィコードのひそやかな音色を聴いていたらこの曲がすぐに思い浮かびました。千年昔に生きた女の人の詠った歌が現代の私たちに響いてくる。クラヴィコードもパイプオルガンと同じくらい古くから、チェンバロのずっと前からあった楽器です。

和泉式部の歌は「女」が「書く」こと、「歌う」ことの意味を今も教え、照らし出してくれている気がするのです。《山の端の月》の光のように。

さて、5週にわたってお付き合いいただいたソングライター講座もこれにて一旦終了です。は~、(←ため息。)大真面目に語っちゃってすみません!

実は「なぜ今、日本のメロディを歌いたいのか」というテーマで書いていたら長くなり過ぎて、これはしばらく放っておき、寝かしていずれ読み返してみようと思いました。現代の生産と消費のペースからすれば一歩ずつの本当にささやかな歩みではありますが、そう遠くない未来にまた音や歌や文章でお目にかかれることをお約束して、どうか良いクリスマス、良い新年をお迎えくださいませ。これから高峰のデコたんレシピ(@『台所のオーケストラ』)にてローストビーフを仕込みます。

もう一度、読んでくださって、そして一年間本当に有り難うございました。


=しょうこ=




第4回『“本当は素敵な関係”』

2013年12月19日更新

第4回は撮影中のDVD映像のなかから、夏にもちらっと聴いていただいた『faraway song(仮)。』を御覧ください。

(動画の公開は終了いたしました。)

監督の名嘉真さんの横でスズキも一部編集に参加、カメラの切り替わりで印象がまったく変わったりリズムが出たりすることにびっくりしております。

映像の編集は音楽のレコーディングに似てるんじゃないかな、と名嘉真さんが仰っていた通り、こっちの方が良い、これの方が好き、とひとつひとつのショットをつないでゆく過程は想像以上に音楽と良く似ています。

嫌い、とか好き、を一瞬で判断する“感覚”は実は非常に論理的なものかもしれないですね。その時説明出来ないだけで、人間の機能や直感ってコンピュータなんかよりずっとパワフルで正確なんじゃないでしょうか。

演奏しているのは第ニ回に登場していただいた製作家・深町研太さん作のフォルテピアノです。ピアノより小さく音は非常に軽やかで、調律は「八分の一」の古典調律です。

バースデー動画の同じ曲と比べてみてください。あちらは平均律に調律したわたしのピアノです。

もうバレていると思いますが、この曲はバーズの『ミスター・タンバリン・マン』の有名なリフを全編で流用しています。12弦のエレキ・ギターでやるべきところをピアノの絶え間ないリフにしてみたのですが、平均律のピアノでやっている時はあくまでも「ギターの代替」のように聴こえていました。同じ曲、同じリフをフォルテピアノでやってみたらまったく違う世界が見えてきました。

重々しさのない軽やかな感覚は歌詞にとても良くリンクしていると思うのは作者の欲目でしょうか?最早フォルテピアノのためのリフとしか思えないのです!

楽器の構造のせいなのか八分の一の調律のせいなのか。。。次回はもうちょっと“感覚の論理化”を追及してみたいと思います。

映像は2台のカメラの9つのカメラアングルから成っています。。。成っているのだそうです。だから何度もテストをして本番にいくんですね。レコーディングで何度も別のテイクを録ることと本当によく似ていると思いました。楽器の全景やディテイルにも是非注目していただけたら嬉しいです!




第3回『超・個人的音楽史~その2~スティーヴ・ペリーと私』

2013年12月8日更新

唐突ですが。。。私、スティーヴ・ペリーが好き過ぎて、いままでジャーニーについて一度も書いたことが無かったのです。

大人気グループだった80年代を過ぎると、彼らについてのニュースは殆ど日本に入って来なくなりました。90年代になって復帰作が一枚、ソロアルバムが一枚出たものの再び沈黙、正式な脱退もアナウンスされず、ソロアルバムの噂も来日の噂も聞かれず、気づけば声そっくりの後任ボーカリストが。。。

意味がわからないわ????

と、ここ何年かUSAのサイトやインタビュー記事を探しては読み漁り、浮かび上がってきたのはバンド内の確執と、スティーヴ・ペリー脱退の信じたくない、あまりに酷い真相でした。

いまここで詳しく触れるつもりはありませんが、'81年の新宿厚生年金会館、82年の武道館、83年の横浜文化体育館で素晴らしいコンサートを体験しているティーンエイジャーからのファンとして、想い出を汚されたような気持ちになったのは本当です。

もうひとつは。。。単純に好き過ぎて恥ずかしい、と言う乙女(当時。)ゴコロが呆れるくらいそのまま保存されているからなのです。

80年代中盤、ジャーニー=産業ロックの代表、という某大物評論家のネガティブ・キャンペーンが効を奏したおかげで、産業ロック=格好悪い=時代遅れという恐怖の図式が出来上がり、ジャーニーのジャ、の字を出したそばから自称・業界人からはフフン、と鼻で笑われる状況と言うのが本当に在ったのです。私がデビューした頃です。決して被害妄想で言ってるのではアリマセン。

某大物評論家、『ロック・オブ・エイジズ』を観たでしょうか?あの映画の一番のハイライトシーンで歌われたのが『ドント・ストップ・ビリーヴィン』だったことの意味は大きいです。30年経ってもあの曲は当然のように生きていたのです。格好悪くて時代遅れと言った奴等は全員反省してほしいものです。

思えば中2中3高1と、あたしの音楽人生は絶好調でした。アメリカのバンドが好き、ベストヒット・USAが大好き。中でもジャーニーは特別でした。黒髪、ロングヘアの中性的なリードシンガーの声と言ったら、一度聴いたら忘れられない響きだったのです。

澄みきったハイトーン・ヴォイスの中には何ともいえない哀愁と陰影があり、本国は勿論日本であんなに人気が出たのはその情緒的な声質に拠るところが凄く大きかったのではないでしょうか。

この世にこんなに私の理想どおりの王子様が居るなんて夢なのかしら??と思うくらい、エキゾチックで影のある目をしたスティーヴ・ペリーは魅力的でした。ジャーニーに加入してまだ2年、弱冠30歳の彼の笑顔や物腰にはシャイな初々しさが漂っていました。

その後、スターダムのプレッシャーからかツアーのストレスからか、若干の戸惑いを禁じ得ない外見の変化に「私の王子様伝説」は何度か危機を迎えたものの、それでもその声ほど私を夢中にさせ、我を忘れさせたものは在りませんでした。

あなたが歌うのをやめたとき、世界はひとつ光をうしなった。

と去年歌詞に書いたのは正直な気持ちです。歌はたのしい。ワクワクして胸がときめきます。解放されます。自由になります。

プロになったらそれは仕事です。お金がかかってます。掛かってると賭かってる、両方の意味があります。あなたは歌わなくなって、レコードの中にだけ居る人になった。

それが悲しいとか悔しいとか、そんな感慨はもうありません。あなたは歌い、たくさんの人を夢中にし、ある時歌うのをやめた。ただそれだけのことです。

レコードをかければ、CDをセットすればあなたの声が聴ける。永遠に20代から30代のままのあなたがそこに居る。それだけで十分なのです。

自分がこれからも歌うのか歌わないのか、そんなことはあまり重要じゃない。本当に重要なのは音楽です。

音楽活動じゃない、音楽です。それは似てるけどまったく一緒ではありません。

ジャーニー自体は今も存続しています。声そっくりのボーカリストを入れて。スティーヴ・ペリーの声だけにある陰影も、他の誰にも醸し出すことの出来ない情感も、それがどんなに彼らの曲を特別にしたか、多くの人の胸に焼きついて離れなくなったか。“産業”にとってはそんなことはどうでも良く、ただ同じキーを出してツアーを回れる歌い手が居れば良かったのです。

ねっ、思い入れと大好きを通り越して怒りが入ってきちゃう。だから一度も書けなかったんだ。

でも――と私は思います。あなたはもうすべてを赦しているでしょう。だからロックンロール・ホール・オブ・フェイムのセレモニーに顔を見せたのでしょう。変わらぬ黒髪のロングヘアが、笑顔が嬉しかったのです。

胸にのこるのはあの感動、音楽の圧倒的な力です。真似して買ったナイキの、赤にシルバーのラインのスニーカー、長い髪をなびかせて歌う姿、
コンサートのあと熱に浮かされたように新宿駅への道をたどった夜の、過ぎてゆく車のライトの眩しさ、ボーイフレンドがちょっと目をつぶってて、と首にかけてくれたJOURNEYのベンダント、
紺色の制服の自分、あなたのレコードに夢中だったたくさんの昼と夜、
人生のひとときにあなたが居て、私達に歌ってくれたこと。あなたがたしかにそこに居て、音楽は永遠だとおしえてくれたこと。